« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年11月

2017年11月24日 (金)

江戸時代の古地図

きーポケの読書コーナーのソファーの横の棚には

時代小説を盛んに読み始めた頃に購入した

江戸の古地図本が置いてある。

この復刻版古地図のタイトルは『江戸東京散歩』。

人文社 発行で定価2,400円。

Photo

この古地図の原本は、嘉永二年(1849年)頃に彫られ

文久三年(1863年)頃に改正もされている。

版元は尾張屋清七 ・江戸麹町六丁目 とある 。

アメリカの黒船4隻が浦賀沖に来航したのが嘉永六年

地図が改正されている文久三年頃から わずか五年後には

明治元年という そんな時代の江戸の町を表した古地図と

現代の同じ場所の地図とを比べるように

見開きになっている。


そんな古地図を開きたくなる時・・

例えば・・

きーポケが大好きな『風の市兵衛』シリーズの第1巻

第1章の始まりの文章に・・

『 裏神保小路の土塀が続く武家屋敷地を

一ツ橋通りの辻から西へ四半町(約二十七メートル)ばかり

雉子橋通り方向へ過ぎた一画に

旗本 高松家の屋敷が ひっそりと佇んでいる。・・・』

・・とある。

渡り用人を生業とする この物語の主人公・唐木市兵衛が

請負先の高松家に初めて顔を出すために通る道筋を

表現した文章である。

Photo_2

それを読む時 きーポケは『江戸東京散歩』のページを開き

老眼鏡をかけた上に

天眼鏡を取り出し細かな文字を追っていく。

「切絵図 索引」内の「町名・橋・坂など」の項目の中に

「裏神保小路」が見つかった。

(この索引に名前の無い場所も多いのだが・・。)

「裏神保小路」・・・索引によると切絵図の14 ページ

七ー二とある。14ページを開き

横の”七”、縦の”二”の交差する辺りの道に

「裏神保小路」の文字が小さく彫られている。

見開きの隣の”現代図”の方を見ると

地下鉄・神保町駅の交差点辺りになるようだ。

古地図上の裏神保小路と書かれた辺りから

「土塀が続く裏神保小路と一ツ橋通りが交差する辻を

西の雉子橋通り方向へ四半町(約二十七メートル)ばかり

過ぎた辺りに・・」と指で辿っていくと

「立田主水正」、「太田内蔵頭」、「西尾忠左衛門」

「中山某」、「都築長三郎」などの武家屋敷の名前はあるが

この物語に登場する旗本・高松家の名前は見当たらない。

当然なのだ。

架空の物語なのだし、第一 少し時代も違うのだから・・。


それでも、江戸時代のこの辺りの雰囲気が伝わってくれば

それでも、市兵衛さんと肩を並べて歩く想像が出来れば・・

きーポケは それで 十分。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月22日 (水)

これが最後の「男の友情」のこと・・

しつこい!と自分でも思いますが、もう一回だけ

ちあきなおみさんが歌う「男の友情」のことを・・。



名曲「男の友情」は

作詞・高野公男さん、作曲・船村徹さんのコンビで

青木光一さんの歌として昭和32年に発表されました。

しかし その後

多くの歌手が この歌をカバーしているようです。

YouTubeで調べてみました・。

美空ひばりさんも歌われています。

大川栄策さん、中村美律子さん

五木ひろしさんなどもカバーされています。

この歌の作曲家の船村徹さんが

北島三郎さんや鳥羽一郎さんらと歌ってもいるようです。


しかし それでも・・

歌の女王ともいわれた美空ひばりさんが歌う「男の友情」も

自分の声に酔ったように歌う五木さんの「男の友情」も

聴けば それなりに いい歌だとは思うのですが

ただそれだけ・・という感じがします。


東京に行きたくても 行けない・・

友と一緒に曲作りをしたいけど それが出来ない・・

治る見込みのない病に伏せる高野さんの

張り裂けそうな悔しさや情けなさなどが

ちあきさんが歌う「男の友情」には

きーポケの胸に強く伝わってきて

泣けてくるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月20日 (月)

続々・男の友情

続きになる・・。

無念にも亡くなられた高野さんの病室の枕元には

親友・船村徹さんへ宛てたメモ書きの詩が残されていて

その詩に船村さんが曲をつけ

『男の友情』の歌が出来上がった。

(1)

昨夜(ゆうべ)も君の 夢見たよ、なんの変りも ないだろね

東京恋しや 行けぬ身は、背のびして見る 遠い空

段々畑の ぐみの実も、あの日のままに うるんだぜ

(2)

流れる雲は ちぎれても、いつも変わらぬ 友情に

東京恋しや 逢いたくて、風に切れ切れ 友の名を

淋しく呼んだら 泣けて来た、黄昏赤い 丘の径

(3)

田舎の駅で 君の手を、ぐっとにぎった あの温み

東京恋しや 今だって、男同士の 誓いなら

忘れるものかよ この胸に、抱きしめながら いる俺さ 。

Yuotube


YouTubeから画像と映像を拝借して・・
https://youtu.be/i-kMHdrU-EI ( 音量に気をつけて・・。)


亡くなった高野さんの墓のそばには

後に船村さんの想いを綴った墓碑があるという。

『 友よ 土の中は 寒いのだろうか

友よ 土の中には 夜があるのだろうか

もしも寒いのならば 俺のぬくもりを わけてあげたい

もしも夜があるのならば 俺の手で灯りを ともしてやりたい

友よ 俺の高野よ、こおろぎの よちよち登る 友の墓石 』


元気になって また東京に行き

もう一度 君と一緒に いい歌を作りたい・・・

そんな願いも虚しく逝ってしまった 高野さん。

友よ、土の中は 寒くはないか、暗くないか・・・と

墓に眠る友・高野さんをしのぶ 船村さん。


だからさー この詞を聴くと・・

だからさー この曲を聴くと・・

だからさー この声を聞くと・・

泣けてくるんだよ・・。



船村さん 今年の2月 84歳で亡くなられた。

強い友情で結ばれていた二人は、もうこの世にはいない。

今頃は 二人で・・酒でも飲みながら

尽きることのない歌談義に花を咲かせているはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月17日 (金)

続・男の友情

前回から続く・・

その歌「男の友情」は

作詞・高野公男さん、作曲・船村徹さん、歌は青木光一さん

1957年(昭和32年)1月に日本コロムビアから発売された。

Photo

作曲の船村徹さんが若い頃

栃木県から音楽家を目指して東京の東洋音楽学校へ入学した。

2年先輩に茨城県出身で作詞の勉強をしていた

高野公男さんがいた。

二人は意気投合し、学校の屋上で手を取り合い

日本の流行歌の頂点に立とうと誓い合ったという。

売れない時期もバイトをしながら励まし合い

太い絆の友情を育てたという。


そして1955年(昭和30年)二人の作詞、作曲で作った

春日八郎さんが歌う『別れの一本杉』が大ヒットした。


しかし その後すぐに、高野さんは肺結核という病気にかかり

1956年(昭和31年)26歳の若さで 世を去ってしまった。

Photo_2

高野さんが亡くなった病室の枕元には

親友・船村徹さん宛てに書いた

『 ゆうべも君の 夢みたよ

なんの変わりも ないだろね・・・』で始まる歌詞のメモが

残っていたという。

苦節を共にして、曲づくりに専念した友・船村さんへの

高野さんからの最後の友情のメッセージだったのだろう。


翌年、その歌詞に船村さんが曲を付けて発表した。

その歌のタイトルこそ『男の友情』なのだ。



・・まだまだ続く・・後日に 。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月15日 (水)

『男の友情』

今までにも何度か記事に書いたが

きーポケが今 歌を聴いて一番心に残る歌手といえば

ちあきなおみさんの歌声になる。

しかし その ちあきさん、今は一切の芸能活動をしていない。


昭和53年(1978年)に日活映画やテレビドラマなどで

役者として活躍していた郷鍈治さんと結婚して

幸せそうな ちあきさんだったが

結婚14年目に愛する夫・郷さんを肺がんで亡くしてしまった。

Photo

それは 人もうらやむ相思相愛のご夫婦だったという。

ちあきさんは荼毘に付される郷さんの柩にすがって

『 私もいっしょに 焼いて!』と号泣したという。

『主人の死を冷静に受け止めるには、まだ当分の時間が

必要かと思います』というメッセージを残し

ちあきさんは それ以後 芸能界から離れた。


奥深い表現力、変幻自在の歌唱力

凄まじいばかりの女の情念を歌いあげる ちあきさんの歌。

しかし それらの女の歌に勝るとも劣らないのが

数は少ないが ちあきさんの歌う男の歌だろう。

男よりも むしろ男らしく

男の色気さえ感じさせる魅力ある低音に

つい 引き込まれてしまう。

いい。

実に いい。

たまらなく いい。


例えば・・田舎の家も土地も係累も

一切合財を捨てて都会に出てきた男

しかし それも、遠い昔となってしまった。

今は その日暮らしの労務者の望郷の念を歌った

星野哲郎さん作詞、臼井孝次さん作曲の

「帰れないんだよ」。

例えば・・石本美由起さん作詞、上原げんとさん作曲

昔なじみの男同士が 久しぶりに都会の街の片隅で出会い

場末の縄のれんに入って懐かしく酒を酌み交わす

「逢いたかったぜ」。

そして そして

何度 聴いても

いつ 聴いても

どこで 聴いても

胸が熱く 涙する歌「男の友情」。


もともと この歌

青木光一さんが歌って人気を博した流行歌だそうだが

数十年後に ちあきさんがカバーをして歌っている。


この話 まだまだ続きそう・・

だから ちょっと休んで、続きは後日に・・。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月12日 (日)

正しい日々の過ごし方?

テレビやなんかを見ていると

きーポケよりも はるかに年上の人たちの

働いている姿を目にしたりする。

農業だったり職人だったり、他にもいろいろな職業の場所で

75歳だとか80歳だとか

なかには90歳近い年齢の人たちまでもが

生き生きと楽しそうに働いていたりする。

そんな人たちの働く姿をみていると

人の人生はそれぞれだと思いながらも

つい自分を振り返ってしまったりする。


きーポケは 本来が出不精でものぐさな男だから

70歳になったとたんに喜んで仕事を辞めた。

ジーさんだ〜 隠居だ〜 と ほとんど家から出ることもなく

グズグズ ダラダラとした日々を過ごしたいる。

きーポケなどよりも はるかに先輩たちの

元気に前向きに働いている姿に、気持ちのどこかでちょっぴり

後ろめたさのようなものを感じない訳でもないが

それでもやっぱり こんな事などは

人と比べたりすることではない・・などと自分を納得させて

今日もダラダラと一日を過ごしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月10日 (金)

次女の教え

当ブログに次女からのコメントがあった。

先日の「タイトル絵を少し賑やかに・・」の記事更新時に

変更した筈のタイトルの絵が

「Safariブラウザ」では更新されなかったという

きーポケの 無知で一方的な愚痴に対して、諭すように

正しい解決方法を教えてくれるコメントを送ってくれた。

Photo

更新ボタン(リロードボタン)で更新されない時には

キーボードの「Shift」と「サファリのリロードボタン」を

クリックする「強制再読み込み」という方法があるという。


その時にも 時計回りの矢印の「更新ボタン」を

クリックしたのだが、どうにも更新されなかった。

しかし まだ その上に

「強制再読み込み」という方法があって

それをしていれば簡単に更新出来たのだろうという事だ。



ありがとーっ!

これまでにも、次女には多くのパソコン操作に関しての

あれこれを教えてもらった。


わざわざ 遠いアメリカから・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 8日 (水)

3日目にして・・

今朝 念のために・・と思って

「Safari」のブラウザで当ブログを開いてみたら・・・。

『あれっ!』

大勢の昔の仲間が遊びに来てくれている「タイトル絵」に

変わっているやないか。

変更したのは おとといやったのに・・

昨日かて 変わらないままやったのに・・。

なぜ今朝になって変わったんやろ・・?

昨日の記事でボヤいたからやろか・・?

相性が悪い?とか言ったからやろか・・?

「Firefox」に変える・・なんて言ったからやろか・・?

それとも「Safari」ブラウザは 鈍いんやろか・・?。



訳の分からん話や・・。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年11月 7日 (火)

相性は大切・・

昨日の更新記事のタイトルは

「タイトル絵を少し賑やかに・・」だった。

その記事内容の通り

トップ画面のタイトルバックの絵を変えた。

絵の中に懐かしい昔の仲間達を増やしたのだ。

きーポケが主に使っているブラウザは「Safari」だ。

S

そして、当ブログは「niftyのココログ」を

利用させてもらって作っている。

だが、以前から何となく感じていた事があった。

「Safari」のブラウザと「ココログ」ブログとは

相性が悪いのではないか・・と。

何しろこちらは素人だからブログの更新時などに

ちょっと不都合なことがあったとしても

こちらの未熟さが原因だろうと思ってしまって

そんな時は適当に済ましていたのだ。

ところが やっぱり

トップのタイトルバックの絵を変えても

何度も何度も 絵の変更を繰り返し指示しても

相変わらず訪ねてきた昔の友人達は「まぼろし探偵」だけの

状態に変わりがないのだ。

念のために

別の「Firefox」と「Google Chrome」の二つのブラウザで

見てみると

F

ちゃんとタイトルバックの絵は

大勢の昔の友人達がいる絵に変わっていたのだ。

G


次の日 つまり今日、「Safari」ブラウザで当ブログを見たが

やっぱり 訪ねて来ている友人は「まぼろし探偵」一人だった。


その原因は きーポケの作業の未熟さかも・・とはいえ

ブラウザの「Safari」と「ココログ」ブログとは

相性が悪い・・という事で、これからのきーポケは

「Firefox」ブログのお世話になることにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 6日 (月)

タイトル絵を少し賑やかに・・

前回の更新記事に、「人は死んだら どうなるのか」との

キーポケが70歳をすぎてからの 遅ればせながらの疑問に

老母の死を見つめていて

最も落ち着きの良い結論を得たような気がした・・と書いた。


それでも その後、”人の死”が そんな単純なものだろうか・・

などと、再び疑問に感じることもあったりするが、しかし・・

この事だけは はっきり云える。

そのうち訪れるキーポケの死後に、墓はいらない。

出来れば骨も残さない。

子や孫や友人らの わずかな記憶の中にあれば良い。


納得出来たような・・出来てないような・・

まとまりのない話が続きそうな こんな時は

タイトル絵のやり直しでもやってみようと思いたった。

きーポケが まだ小学校の4,5年生の頃から

中学3年生くらいまでの、昭和30年(1955年)頃 から

昭和36年(1961年)頃まで

明けても暮れても、漫画、まんが、マンガ の生活だった。

それが じーさんになった今頃になって

そのころの懐かしい仲間達が きーポケの廻りに集まってくる。


紹介しよう。白黒の彼ら 前面左から

「さるとび佐助」・「金星金太」・「じゃじゃ馬くん」

「イガグリくん」・「イナズマ君」・「朱房の小天狗」

「ビリーパック」。

そして 後ろにいる大きな人物が「砂漠の魔王」。

昼寝をしている きーポケの隣でソファーに座っているのは

一人だけ総天然色の「まぼろし探偵」富士 進くん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 1日 (水)

逝く母の最後の教えか・・

ほとんどの事どもの 難しいことは出来るだけ避けて

まぁ テキトーに生きて来た きーポケだが

70歳を過ぎる辺りから、人は死ぬと どうなるのか・・

というような、そんな事などを遅まきながら考えていた。


人間に限らず”死”は、犬や猫などの動物にも必ず訪れる。

もしかしたら木や花や草などの植物も

若葉が芽生え そして枯れていくのも死かもしれない。

この世に生ある者のすべては

いずれ土に還っていく道理は誰にでも分かる。

しかし、それぞれの肉体と共に在ったはずの”心”というか

”気持ち”というか、”魂”というか、”精霊”というか

何かそんなような”モノ”は

肉体がなくなると同時に なくなってしまうものなのだろうか。

それとも、肉体とは異なり永遠に存在するものなのだろうか。

その樣を視た事のない きーポケには

そこのところの道理みたいなものが分からなかった。

もしかしたら 何千年、何万年もの間の

多くの”死したモノ”たちは、人の目には見えないままに

この世の何処かで、ウヨウヨと重なり合いながら

うごめいているのだろうか。

それより何より

「重なり合いながらうごめく」という発想自体が

きーポケの愚かな考えなのだろうと思うが・・。


そんなこんなで、あれやこれやと考えたりしていたが

先日 96歳の老母が亡くなった。

大往生とも言える母の死だが

現実の母の死を見つめながら、とりあえず 今

きーポケが疑問に思っていたことの

一番落ち着きの良い結論を得たような気がした。


死して身体が土に還った後の

亡くなった者の ”心”だとか、”気持ち”だとか、”魂”だとか

”精霊”だとかで表現される そのような”モノ”は

残った人たちの前から肉体と一緒に消え去るのだと

きーポケには思えるようになった。

残った者たちの心の中には

亡くなった者たちの様々な記憶や思い出が残っている。

例えば・・

きーポケの亡くなった母の霊や魂は

肉体が土に還ると同時に一緒に消えてしまったのだ。

しかし それでも、母の記憶や思い出などは

家族や友人や きーポケの心の中に残っているわけで

きーポケが生きている限り

きーポケの胸の中に母は存在しているのである。


多分そのようなことなどを

霊や魂だと表現するのだとすれば

きーポケには すんなり納得できるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »